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◇プロフィール◇
氏 名 伊藤 誠
生年月日 1957/2/27 出身地 山口県 所属学会 日本印刷学会 昭和64年からデジタル画像機器の企画・開発ベンチャーで多くのグラフィック関連機材の企画、マーケティング、開発業務に携わる。平成4年、自ら手がけたインクジェットプルーファの企画を開発中だった事務機器メーカーに移り、同製品の事業化プロジェクトを担当。以後、創生期におけるわが国デジタルプルーフ市場の拡大に大きく貢献した。また同時に高精度カラーマネージメント技術の研究・開発を進め、平成10年に独立。大手商社や繊維メーカーなどの技術顧問を務めながら、業界誌への執筆活動や講演会活動を行う。平成12年7月、色彩技術の企画・研究・マーケティングを行うシンボリック・コントロール株式会社を設立、代表取締役社長に就任し現在に至る。ISO/TC130日本委員、日本画像処理技術標準化委員会委員、会津大学非常勤講師を歴任。 <特許>カラーマッチングのブラック生成法、LUTを使った色変換法、分光特性を使ったカラーマッチング法、デジタルカメラを用いたカラーマッチング法、画像処理の遠隔シミュレーション法 ライフログ
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仕事で豊岡に泊まった翌日、かつて東洋一の鉄橋と言われた余部鉄橋を見に行きました。これまで写真ではお目にかかっていたのですが、実際に目にするとその巨大で且つ無骨な建造物に戦前の人智の力、というか魔力みたいなものをひしひしと感じました。「古色蒼然」という言葉がありますが、それ自体は古めかしいさまという状態を意味します。しかしこの余部鉄橋全体に塗装された赤茶色を見ていると、その色自体にこの「古色蒼然」という言葉を感じてしまいました。
記録によるとこの鉄橋は、明治45年(1912年に2年の歳月と33万余円の巨費、延25万人の人夫を投じて完成されたそうです。建築様式はトレッスル式で当時の鉄道院技師古川晴一氏等により米人技師の意見を取り入れトレッスル(橋脚部分)の資材はアメリカより九州の門戸に送られ、3千トンの内地汽船に積替え明治43年8月余部沖でハシケに移し陸揚げされたとこの事。つまり明治末期の最新技術が投じられているのですが、僕はこのような戦前の無骨な金属創造物を見ると、言い知れぬ恐怖感のようなものを感じてしまいます。「ミカロイド」という軍部が作ったロボットが動き出して人を襲うという映画にひどく恐怖感を覚えたのですが、同じに感覚をこの鉄橋からも受けた次第です。 ただこの鉄橋ももうすぐコンクリート製に作り換えられるのだそうで、またひとつ歴史的建造物がこの国から消えていくと思うと一抹の寂しさを感じますね。
by makoto_itoh
| 2006-06-11 23:36
| 雑記
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